学ぶためにお金がかかり過ぎる
今日は「大学」と「お金」についての話です。
私は地方の国立大学の工学部に所属して化学系を専攻していましたが、
今は経理をしていて、マーケティングやプログラミングを学んでいます。
大学で学んだことは活かせていないよねって感じたはずです。
それも当然で、エントロピーや熱力学、粘性については普段はまったく使いません(笑)
以前のブログで「大学に通う価値はない」と言ったのですが、
最近になってその考えが変わりつつあります。
キッカケは「シン・ニホン」です。
- 日本の生産性と競争力が先進国と言われる中でも非常に低くなっていること
- AIなどのIT分野での遅れが顕著であること
- それらの原因として大学の資金力(もちろん学ぼうとする人の数も)が少ないこと
簡単に言うならば、
“日本の大学と海外の大学の体力の差が圧倒的にあり、今のままでは衰退の一途を辿る”
ということでした。
“シン・ニホン”を読んで認識を改めた、もう1つが「寄付金」についてです。
最近でこそ、クラウドファンディングが認知されたので個人レベルでの寄付金がされるようになってますが、数年前まで「寄付金=国や企業がするもの」と考えてました。
とはいえ、卒業した大学から同窓会のお知らせとともに寄付金の用紙も届いてました。
もちろんと言うか、恥ずかしながら寄付していません。
なぜ、寄付出来ないのか?
お金がないからです。
“シン・ニホン”によると、アメリカでは大学で学ぶための費用を大学が出していて、
原資となるお金は過去の卒業生からの寄付金を含めた個人からの寄付金が多いそうです。
大学は集めた寄付金の投資利益を基に、大学の運営や研究資金を捻出しているとのことでした。
ざっくりした言い方をするなら、
学ぶためにお金がかからないのが海外の大学に対して、
全て自己資金の日本は(というか、”私は”ですが…)です。
銀行から借りたり、奨学金を借りたり、バイトして稼いだり、全て自己資金です。
いざ卒業しても借りたお金を返済するので手一杯になるので寄付金どころじゃありません。
「大学まで卒業したんだから、もっと稼げよ!」と厳しいお言葉を頂戴しそうですが、短大も含めた進学率が58.1%と言われる中で所得が下がっているのが現状です。
要するに、
「大学で学んだことを活かせていない」
ここが問題なのだと思います。
仕事に直接活きる学部って何?と聞かれたたら、
- 理学部
- 工学部
- 経済学部
- 人文学部(教員があるので)
こう答えるかもしれません。
ただ、大学で学ぶことは物事の土台だったり基本的な部分が多くて、
仕事で求められる企画力だったり効率だったりが弱いと考えてます。
結局のところ、「大学で学ぶことは即効で社会に役立つとは言えない」です。
応用の連続になる社会で生き抜くために基本的な部分を自分なりに解釈し、
成果に繋げられるかで全てが変わるのではないでしょうか。
多くの会社では大学の知識はいらない
仕事に必要なことは仕事で覚える経験をしてきた私にとって、
大学の知識に価値を感じませんでした。
そういう仕事を選んだからっていうのも当然ありますが、
あえて良かったことを探すと、「言葉を知っている」くらいです。
とはいえ、言葉の意味を知らなかったらググればいいので、価値は無いかもしれません。
そう言ってしまうと、本格的に大学っていらなくね?となりそうですが、
「世界を良くするものづくり」をするために、大学でちまちまと学ぶ価値あります。
スピード命の今、知っている情報×ものづくりのコンセプトを繋ぐ思考力が必要だからです。
いきなり「ものづくり」とか「コンセプト」入ってきた!と思ったかもですが、「学ぶ=作る」と言い換えられるはずです。
大学で学びながら、
「あーでもない。こーでもない」と考える時間を確保する
それこそ大学の存在価値の1つと言えるのではないでしょうか。